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念願だったF1入りはこの年、トールマン・ハートの新人ドライバーとして14戦に参戦し果たされた。1981年にイギリスF.F.1600クラス総合チャンピオンとなり、この頃から天才ドライバーとしてヨーロッパで注目され始める。1983年にはイギリスF3王者となり、F1入りの夢が現実になった。F3時代から「2位になるのは死ぬほどいやだ」と公言。予選で1位になりながら、本選ではクラッシュすることもしばしばあった。トールマン・ハートはマシンの総合力としてはとても優勝をねらえるチームではなかったが、それでも強引に上位を狙うセナのドライビングは高く評価された。
デビュー戦のブラジルGPはリタイヤしたが、2戦目の南アフリカGPではいきなり5位入賞。このとき、セナは疲労のためマシンに乗ったまま失神し、メカニックに助け出されるというエピソードを残している。
「F1にセナあり」を知らしめたのは、第6戦モナコGPであった。レースは豪雨のなかで決行され、クラッシュするマシンが続出したが、セナは抜群のマシン・コントロールでみるみる順位を上げ、2位に浮上した。しかしレースは赤旗でレースは中止、惜しくも初優勝をあげることはできなかった(詳細は、「明暗を分けた豪雨のモナコ」を参照)。デビュー時からモナコのような難しいサーキットで、そのテクニックは輝いていた。この年の活躍で、翌1985年にロータスに移籍することになった。
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